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第10戦イギリスGP
  
 
プラクティスではロバーツが1分28秒00でポール、スペンサーは1分29秒38で2位。レースではスペンサー、マモラ、ロバーツが争うが、死亡事故が起こり中断。再スタート後のレースではロバーツがトップに立ち、少しづく後続との差を広げそのままゴール。ロバーツの後ろではスペンサー、マモラ、ローソンが2位を争うが、ローソン、マモラ、スペンサーの順でゴール。しかし、中断までのタイムとの合計ではスペンサーが2位だった。最速ラップはロバーツの1分28秒20。

 左はスタート前の1号車。スイングアームはアルミ合金製である。

 


第11戦スエーデンGP

  左はレース中の2号車。スイングアームはアルミ合金製である。右はプラクティス中の1号車。
 
  プラクティスではスペンサーが1分37秒00でポール、ロバーツは1分38秒81で2位。レースでは序盤、スペンサーがトップに立つが、ロバーツがすぐ追いつき激しいトップ争いを展開、そして、最終ラップの最終コーナー、トップに立っていたロバーツの内側にスペンサーが強引に飛び込みロバーツはコースアウト、スペンサーがトップに立ちゴール、ロバーツは2位に終わった。最速ラップはロバーツの1分37秒11。

第12戦サンマリノGP
 
 プラクティスでスペンサーは1分54秒00で2位、ポールは1分53秒49でロバーツ。レースでは序盤スペンサーがトップに立つが、ロバーツがすぐ追いつきトップに立つ。ロバーツが優勝してもスペンサーが2位ならスペンサーがチャンピオンになる(3位なら同点で優勝回数も同じだが2位の回数の差でロバーツがチャンピオン)。ロバーツはスペンサーを抑えチームメイトのローソンが順位を上げるのを待つ。しかし、ローソンは3位だったが、とてもスペンサーに追いつける状況ではなかった。結局ロバーツが優勝し、スペンサーは着実に2位を得て、チャンピオンをホンダにもたらした。最速ラップはロバーツの1分53秒36。

 左はプラクティス中の1号車(レース使用車)。スイングアームはアルミ製である。

日本GP

  左端はプラクティス前の1号車、左はレース後の1号車(NS500F-3001)。スイングアームはアルミ合金製である。阿部孝夫に与えられたマシンのフレーム番号の末尾は3007、3022だった。おそらく前者はオリジナルNS500で後者はRS500Rベースなのだろう。レースでは3022が用いられた。       
右上は3007である。右スイングアーム中央の孔はない。また、後ブレーキはカーボンではなく、スチール製ベンチレーティッドだった。上右端は3022、サイレンサーが円筒形なのに注意(スエーデンGPの2号車と比較されたい)。
 プラクティスでスペンサーは2分19秒57でポール、これはそれまでの全日本選手権で平忠彦が記録していた2分22秒42を大幅に上回るものだった。レースではスペンサーがスタートから飛び出した。木下恵司(ヤマハ)が追い上げスプーンカーブ入口では追いついたが、転倒、その後はスペンサーが独走して優勝した。最速ラップは2分21秒14だった。

最後に

 1983年型NS500はGP史上、最も美しいマシンの部類に入るだろう。そして、500ccGPレーサーの理想型の一つであると思う。しかし、その可能性を最も疑っていたのはホンダ自身だった。鈴鹿サーキットで新型4気筒が走っているのが目撃され、1984年型ホンダが4気筒になることが明らかになったのは、1983年日本GPでのスペンサーショックが冷めやらぬ頃だった。

シーズン後公開されたマシン 

  左はシーズン後のスタジオ写真である。スイングアーム中央に孔がない。右は試乗に提供されたマシンである。おそらく2号車だろう。スイングアームはいずれもアルミ合金製である。

  1982年型及び1984年型のNS500が現存していることが確認されているが、1983年型NS500はどうなっているのだろうか。

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